小学校を覆う全体主義 『滝山コミューン 一九七四』

 政治思想史の研究者が、トラウマだったという子供時代の記憶と向き合った、異色のノンフィクション。

 1970年代、首都圏郊外のマンモス団地に住む、公立小学校の児童だった著者は、赴任してきた若手教師が持ち込んだ教育手法により、奇怪な体験をする。

 小・中学校の教師らでつくる全国生活指導研究協議会(全生研)が進めてた「学級集団づくり」。クラスの児童たちを“班”に分け、学級活動を班同士で競争させるというもの。
 担任教師が毎週、「給食時間を守る」「1日1回は必ず発言する」などの努力目標を立てさせ、それを各班が減点法で競う。児童たちは互いに違反を指摘し合い、最も減点が多かった班は「ボロ班」と呼ばれ、さらし者にされたという。

 この班活動は児童会へも波及、小学校を不穏な影が覆う。
 やがて児童たちは驚くべき“自主性”でもって、成果を上げられない班長を解任させたり、児童会組織に反発した者へ自己批判を迫るまでになる。

 全生研としては、民主的自治というものを体験的に学ばせる狙いがあったらしい。
 それが全体主義的なディストピアっぽくなってしまったのは、特権的な立場から指導をする担任教師の存在や、児童たちの年齢や家庭環境が同質という状況など、実社会に無い要素が絡んでたからではないかと思う。学校って社会の縮図にはなり得ない。

 幸いにも、教師の転勤や、児童たちの卒業で、コミューンは一過性の悪夢に終わった模様。
 これに類する気色の悪い思い出は、自分の小学校時代にもあり、いささか背筋が寒くなったぞ。

 スリリングな内容の本書だけど、ノンフィクションとしての出来はイマイチ。
 著者は冷静に客観的にあろうとしてるものの、鉄道や駅についての記述が妙に細かかったり(根は鉄ちゃん?)、ショッキングな場面を流し気味に書いてたり、説明過多と説明不足が混在。
 だからこそかえって、つらい過去と向き合わねばならず、ぎこちなくても書かずにはいられなかった、著者の切実さがうかがえる。

 “清算”や“消化”をしないと先へ進めない、そんな過去は誰にでもあるのです…

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