今この文章を書いてる自分と、昨日の自分や、一昨日の自分って、同一人物なのだろうか?
どれも自分なんだから、同じでアタリマエ。
と思いがちだが、改めて考えてみれば、今の自分と過去の自分では、経験とか影響とか、それにともなう思索の“量”なんかが違う。
量が違うからと言って、今の自分が過去の自分よりも“質が高い”とは限らないけど。
ひょっとしたら、私たちは自分という“檻”に閉じ込められてる訳ではないのかも知れない。日々異なる自分を生き直してるようなもので、思ったほど窮屈ではないのかも知れない。
…舞踏会で起こる殺人事件を解決すべく、主人公が登場人物8人に乗り移り(!)ながら真相に迫っていくという、この複雑怪奇なミステリを読みながら、そんなことを思いました♪