「愚行権」という権利。
どこかで耳にしたことはあったのですが、あるベテランの相談支援従事者が言っていたのを聞き、改めて興味を抱きました。
他者から見て愚かしく間違った行為であったとしても、当人以外に影響がなければ、自由を阻害されない…このような権利です。
ジャンクフードをむさぼり食べる自由や、夜ふかししてゲームに熱中する自由、泥酔する自由などが、愚行権に当たる模様。周りに迷惑がかからないことが前提ですが。
この愚行権、心情的には理解できます。
強くて正しい完璧な人間など、どこにもいません。健常者であれ障害者であれ、誰もが弱さや誤りを抱えています。だからこそ、私たちは寄り集まって社会を形成し、助け合いながら生きているのです。
弱さや誤りの否定は、生きることそのものの否定にもつながりかねません。
どう捉え、認めるべきか…
とは言え、障害者福祉にたずさわっていると、愚行権として認めることがためらわれるような事例も見かけます。
例えば、リボルビング払いを利用した際限のないショッピング。例えば、リストカットなどの自傷行為。例えば、十年以上におよぶ引きこもり生活。
これらを「個人の自由」とする意見を、しばしば見かけます。背後には愚行権的な考えがあるのでしょう。
しかし、長期的な視点に立つと、胸の奥に「何とかしなければならないのでは?」との疑問や、「これを放置する社会で良いのか?」との不安を覚えます。
愚行権をどのように捉え、認めるべきなのか…私は答えを見出せていません。