福祉専門職の実習生たちが、ウチの施設での実習初期、そろって口にする疑問があります。
「利用者のAさんは、どこに障害があるのですか?」
裏を返せば「Aさんは健常者にしか見えない」ということです。
物言いがハキハキとしており、立ち居振る舞いもスムーズで、誰にでもにこやかなAさん。どこに障害があるのか、接したばかりの人は分からないでしょう。
Aさんには軽度の知的障害があります。
しかし、「健常者にしか見えない」ところこそが、Aさんの障害と言えるかも知れません。
やや長めに会話してみると、こちらが伝えようとしていることを、Aさんが理解していないらしいと分かってきます。
話の内容にもよりますが、Aさんは多くの場合、相手の態度に合わせた上辺だけの受け答えをしているのです。
周りから“普通”に接してもらえる
これまでの半生で、Aさんは「相手から見下されたくない」「対等に扱われたい」との思いから、自分の言動を律してきたそうです。
Aさんなりに体得した、ある種の処世術でしょう。
ところが、周りの人たちから“普通”に接してもらえることは、Aさんにとってつらいことでもあります。
やさしい表現を多用したり、スローペースで話したり…そのような配慮をしてもらえないからです。
そればかりか、「これくらいはできるだろう」などと能力以上の要求をされたり、「そんなことも分からないのか」などと非難されるような、不本意な事態を招くことも。
さて。これまで何度も言及してきましたが、私の弟はダウン症です。
ダウン症は顔貌などに共通する特徴があり、弟も同様。そのため、弟に接してくる人たちはすぐに“障害がある”と気付き、それなりに配慮を示してくれます。
一方で、成人である弟を、初対面から子供扱いしてかかる人もいます。そのたびに弟は、自尊心を傷付けられてきました。
“障害がある”と分かりやすいからこそ、初めから配慮してもらえるし、初めから見下されるのでしょう。
障害者に見えないAさん。障害者にしか見えない弟。…それぞれに有利不利があり、幸不幸があります。
言うまでもないことですが、個々人が抱えるつらさは、見かけだけでは判断できません。
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