重そうな荷物を担いでいるお年寄り。歩道橋の前で立ち往生している風情です。
すると、通りかかった若者が、歩道橋の向こうまで荷物を運んでくれました。お年寄りは若者の親切を喜ぶでしょう。お年寄りを手助けできたことに、若者は嬉しさを覚えるでしょう。
では、お年寄りが歩道橋の脇で、「向こうまで荷物を運んでくれた人には1000円差し上げます」とのプラカードを掲げていたら?
荷物を運んだ若者に、お年寄りは1000円を支払います。お年寄りは「助かった」と安堵するでしょうが、それは喜びとは別種です。若者は嬉しさを覚えるでしょうが、それは金銭収入に対するものです。
深田耕一郎著『福祉と贈与』は、全身性障害者たちが社会生活を希求した自立生活運動を発端に、福祉がサービスとして提供されるようになった経緯をたどりながら、「福祉を贈与として立ち上げることは可能か」を考察した本。社会運動を展開する障害者の介護に8年間従事し、観察と取材を重ねたという労作です。
私たち福祉専門職は、福祉サービスを提供することで対価をもらい、それを“生活の糧”にしています。福祉を職業にできるのは、近年の制度改正などによって福祉サービスが商品化され、金銭が介在するようになったからです。
決して悪いことではないものの、著者は「貨幣は関係を『割り切る』ことを可能にする」と指摘。福祉のサービス化・商品化が抱える“危うさ”に目を向けているようです。
支援者は“何か”を受け取っている
福祉の仕事においては、尊厳の尊重が求められます。平たく言えば、相手に対して“尊敬”や“友愛”の念を抱くこと。
ところが、尊敬や友愛は、金銭では入手できません。保障される権利でもありません(制度として形式的に定めることはできますが)。
福祉が割り切ったものになると、尊厳という大切な要素が、ないがしろにされる恐れがあります。お年寄りをいたわる気持ちは、1000円で荷物を運ぶ行為には不要とされる訳です。
そこで、本書では「贈与労働」という概念が持ち出されます。
著者は「自己を与えることがよろこびとなり、自己のよろこびとなるような労働」と定義。芸術や教育などが、贈与労働に当たるそうです。おそらくはスポーツも。
実体のない“感動”のような価値に、あえて金銭を介在させた仕組み…と言えるかも知れません。
お年寄りや障害者を支援することで、支援者は公的制度から収入を得ます。同時に、お年寄りや障害者からも、支援者は“何か”を受け取っていると思われます。
この“何か”が得られるからこそ、お年寄りの荷物を担いで歩道橋を渡るという行為が、金銭をもらわなくても生じるのです。
福祉的支援を贈与労働として成り立たせるためには、おカネでない“何か”を見定め、新たな価値観として普及させていく必要があるでしょう。
「福祉はカッコイイ」「介護するって良い気分」「支援をさせてくれてありがとう」…このような価値観の社会、実現させたいですね。
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