数年前、ウチの職員たちを施設見学に出したことがあります。
そこは発達障害児の支援に特化した療育施設で、高度な専門的知識に裏付けられた構造化の取り組みが行なわれているのです。
果たして、大きな刺激と学びが得られたのですが、見学した職員からは疑問の声も。
「しっかりとした構造化に慣れてしまうと将来、構造化されていない社会に出られなくなってしまうのでは?」
発達障害のある人たちにとって、構造化された環境は、ストレスを覚えずに活動できる空間です。
しかし、この社会全体が構造化されている訳ではありませんし、社会へ子供たちが出ずに済ませられる訳でもありません。構造化されていない社会へ、やがて子供たちは出ていかなければならないのです。
地力を養い、知恵を身に付ける
見学先の施設長さんに疑問を投げかけてみたところ、「構造化されていない社会で生きていくために、構造化が必要なのです」との回答をいただきました。
構造化が要らないための構造化…何だか禅問答みたいですね。
構造化された環境で落ち着いて活動に取り組むことができれば、子供たちの自己肯定感が育ち、意欲や積極性が高まります。その上で、環境へ自分から働きかけられるようになることを目指していくそうです。
「環境へ自分から働きかけられる」とは、言い換えれば「環境を自分で構造化できる」でしょうか。
障害のある人たちへの理解が今後どんなに進展しても、この社会が構造化されていく訳ではありません。
混沌とした社会で生きていくための、地力を養い、知恵を身に付ける…そのような考えが、構造化という取り組みの根底にあるようです。
photo credit: Saad Faruque via photopincc