世の中には、お金で買えないものがあります。
私を含め多くの人びとは、そう教えられており、そう信じてきました。
ところが近年、さまざまなものがお金で買えるようになっています。
例えば、行列に並ばないで済む権利、公共施設の名前、児童に読書をさせる動機、他人の臓器や生命保険、子供を産むための母胎、などなど…。
何かを売りたい人がいて、それを買いたい人がいて、値段が折り合えば売買が成立。両者は得をする。他の誰にも迷惑はかからないし、とやかく言われる筋合いもない…。
上記のような、商取引では当然とされる考え方に、「それだけで良いのか?」と疑問を投げかけているのが本書です。
市場主義の道徳的限界を指摘
著者は「不平等」と「腐敗」の観点から、市場主義の道徳的限界を指摘しています。
すべてが売買できる社会では、裕福な人びとは恵まれ、貧しい人びとは不利になります。これが「不平等」です。
金銭の介在によって、対象が有していた美徳や意義がおとしめられ、損なわれることがあります。これが「腐敗」です。
不平等には是正の余地もありそうですが、腐敗には取り返しがつかなくなる危険性がうかがえます。これを懸念する著者は、「社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない」として、私たちに共通する“善”についての熟議を提唱しています。
このところ、福祉分野への市場原理の導入が進んでいます。
介護保険制度や障害者自立支援法などを見るに、すべての国民に保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条1項)には、すでに値段が付けられているような気がします。