障害の重い人であっても、できるだけ働いた方が良い。
私はそう考えており、その考えを周りに伝えてもいます。
労働の成果が、安価な製品であったとしても。
誰かが購入してくれるなら、その行為が「あなたの労働を認めます」という意思表示につながるからです。
Aさんが作った100円の品物を、Bさんが買った場合。
BさんがAさんの存在を知らなかったとしても、品物に100円を支払うことによってBさんは、間接的にAさんの労働を認め、ひいては存在をも認めていることになります。
労働の価値が高いほどに“声”は大きくなる
障害のある人たちは、しばしば社会の隅に追いやられがちでした。排除されていた歴史もあります。
だからこそ、労働を通して、収入を得ることと併せ、社会の中で存在を主張すべきなのです。
ウチの施設では以前、利用者さんが作ったアクセサリーについて、「粗末すぎる」「売れそうにない」との判断から、来園者への“記念品”として無料配布したことがありました。
ですが現在は、「10円でも50円でも値段を付けて売ろう」「買ってもらえるアクセサリーを作ろう」との方針に改めています。
社会の中で存在を主張する、その“声”は、労働の価値が高いほどに大きくなるはず。
製品やサービスが高価になるほどに、提供者の存在感は増していくでしょう。
そうであるなら、働くからには、より良い労働を目指さなければなりません。
ここからは、支援者の頑張りどころでもありますね。
photo credit: Shrieking Tree Anti-Torture Vigil – Week 32 via photopin(license)