近年メジャー化しつつある“ペット葬”などについて取材した本。
著者は新聞記者や雑誌編集者を経て、実家の寺(浄土宗)を継ぐため仏門に入ったという人物。
現代ではペットの地位が“家族の一員”に昇格し、人間同様に弔いたいとの需要が高まってる。これを受け、仏教界では真剣な議論がなされてるそうな。
仏教の輪廻思想によれば、犬や猫は畜生界に堕ちてる存在なので、人間界に転生して仏道修行を経なければ、極楽往生はできない。一方で、「すべてのものは仏の現れである」として、動物の往生・成仏に違和感を示さない見方もある。
社会的ニーズの否定は門徒離れを起こすと危惧する僧侶とか、ペット供養に乗り出して評判を高めてる寺も。
宗教って思想でもありビジネスでもある。
著者はペット葬の是非をジャッジすることは避け、ペットを弔いたがる慈悲心へと関心を拡げていく。
日本人は古来より、身近にあるさまざまなものを供養してきた。
服飾専門学校では針供養が行なわれ、理系大学には実験動物の供養塔が建ってたりする。殺虫剤メーカーではゴキブリなどの害虫を供養し、郵政大臣は迷子郵便供養塔を建立、ソニーのロボット犬「AIBO(旧型)」の修理対応が打ち切られた時にはユーザー有志が合同葬を営んだ。もう何でもアリです。
生物だろうと無生物だろうと、私たちの思い入れが“魂”を見出し、弔いの対象にしてしまう。
魂があるから弔うとかじゃなく、弔いたいから弔うのねw