私が勤務する障害者福祉施設には、実弟がいます。
ダウン症である弟は、ウチの施設では最古参の“利用者さん”です。
弟は排泄に少々困難があり、状況によっては私が介助に入ります。
そんな時、「『ヘルパーセラピーの原則』は肉親間では通用しないのかも…」と感じます。
手をわずらわせる弟を「情けない」「不甲斐ない」などと思ってしまう、“兄の私”がいるのです。
ヘルパーセラピーから生じるポジティブな感情は、あまり覚えません。喜びなどが伴う場合もあるのですが、何となく“質”が異なっているような気がします。
湿った感情に悩まされることなく
一方で、弟の排泄が困難である事情や、介助する必要性と意義を理解している“支援員の私”もいます。
どの動作を助け、どの動作を本人に任せるべきかを判断しながら、淡々と仕事を進めていきます。
弟に対して私は、兄ではなく支援員として接するようにしています。
まがりなりにも“プロフェッショナル”に徹することで、湿った感情に悩まされることなく、適切な支援を行なうことができるからです。
肉親に“仮面”を着けて接するような姿勢が、良いことなのかどうかは分かりません。
ただ、兄でいるよりも少しだけラクに感じられます。
私の職場は、弟がダウン症だったためにできたようなものです。弟のおかげで、私は働けるし、食べていけるとも言えるでしょう。
私は弟に感謝しています、プロとして。
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