「あの人は甘えている」「態度がわがままだ」
障害のある人たちについて語られる場で、しばしば耳にする言葉です。
言っている人たちの多くは、障害への理解が不充分なのでしょう。
福祉的支援の現場においても、たまに聞こえてくるところが、いささか残念ですが。
ある利用者さんが「ちょっと頭が痛い。仕事を休みたい」と報告してきたとします。
そこで、利用者さんのバイタルチェックをしたり、直近の状態などを検討。支援者側が「働けないほどの不調ではなさそうだ」と判断し、そのことを当人に質してみたとします。
続く展開は、利用者さんが「やっぱり休みます」と主張する場合か、「やっぱり働きます」と宣言する場合か。
私たちの多くは、前者について「甘えている」「わがままだ」と見るのです。
ここで、さらに踏み込んで「軽微な不調を感じている利用者さんが“休む/働く”のはなぜか?」と考えてみます。
短絡的に決め付けるのは簡単
すぐに思い浮かぶ理由は「意欲や責任感がないから休む」「意欲や責任感があるから働く」でしょう。
実際そうなのかも知れません。ですが、障害特性や環境などを勘案すれば、さらに考察を深めることができます。
その利用者さんが“休む”のは、自分の感覚に正直であり、それを正直に述べているだけかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは、不調の有無に関わらず、日々のルーティンワークに従っている方が気分的に安定するのかも知れません。
その利用者さんが“休む”のは、施設や職場の中に、近ごろ人間関係が険悪化している利用者さんがいるのかも知れません。
その利用者さんが“働く”のは、以前に休んだ時に非難を受けたため、休みの申し出ができなくなっているのかも知れません。
不都合な態度を、健常者の場合と比較して、「甘えている」「わがままだ」と見るのは簡単です。
しかし、短絡的に決め付けると、続いての対応が、しばしば“苦言”や“叱責”、あるいは“配置転換”など、ネガティブなものになってしまいがち。
丁寧な観察。柔軟な考察。
簡単なことではありませんが、これらを踏まえ、できるだけ前向きな支援を導き出したいものです。
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