施設長の学び!現場の学び

支援者として“親亡き後”に直面(その1)

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支援者として“親亡き後”に直面(その1)

 障害のある人たちのいる家庭において、必ず直面することになる課題のひとつが“親亡き後”です。
 残された子供が障害を抱えながら生きていくことへの不安や、事前に準備しておくことの難しさなどが、課題として親御さんに突き付けられます。

 先ごろ、ウチの施設で“親亡き後”の事例が起きました。支援者として初めて直面しました。
 状況がひと段落したので、その経験について振り返ってみます。

 50歳代の男性Aさん。ウチの施設では最古参の利用者のひとりです。
 言語コミュニケーションは困難ですが、陽気にしてマイペースな人柄。自宅から施設にかよい、生活介護での活動を楽しんできました。

 ご両親は共に80歳代。家族仲は良好です。
 Aさんの世話は、ほぼすべてをお母さんが担い、お父さんの関与は最小限と見られます。また、Aさんにはお兄さんがいて、別に所帯を構えています。

 Aさんが入浴する時は、必ずお母さんが介助。親子3人が毎晩「川」の字に並んで就寝しているとも聞いていました。
 ご両親から愛情豊かに育てられたAさんではありますが……“親亡き後”への備えは欠けていました。

 十数年ほど前、近隣の入所施設が行なうショートステイを利用してみたことがあったそうです。
 ところが、未経験の環境をAさんが嫌がったことから、お母さんは「息子がかわいそう」ということでショートステイを中断。以後、利用することはなかったそうです。

 Aさんの“親亡き後”について、私は長年心配していました。
 とは言え、コンスタントに通所しているAさんに、表面上は何の問題もありません。私の懸念は、胸の奥底に仕舞われていました。

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家庭に迫りつつある“限界”

 ある時、Aさんの着衣の異常に、施設の職員が気付きました。気温が高いにもかかわらず厚着だったり、同じトレーナーを何日も着ていたり……そのようなことが頻発するようになりました。
 Aさんのお母さんに、認知症の症状が出始めていました。

 食事の準備も、通所の準備も、お父さんにはできません。お母さんは認知症の外来に通院するようになったのですが、それでも毎日、Aさんの世話を続けていました。
 Aさんの着衣や持ち物などが、次第に乱れていくのが分かります。入浴の機会も減っているようで、家庭生活の質的な低下がうかがえました。

 施設の職員たちが、Aさんの家庭に迫りつつある“限界”を予想するようになっていたころ、私の弟がBグループホームに入居することになりました
 すると、Aさんのお父さんが、弟と同じグループホームの利用を決断したのです。Aさんと弟は、支援学校時代からの長い付き合いがあるため、お父さんは「同級生と一緒ならば、グループホームでの生活になじみやすいだろう」と考えたのでした。

 Bホームにはショートステイの機能があったので、Aさんはショートステイとして数日間の利用から始めることに。徐々に慣れてもらおうという作戦です。
 Bホームには先に私の弟が入居していました。新生活への定着が進んでいる弟を見て、Aさんのお父さんは「これならば息子も大丈夫だろう」と楽観視していたようですが……。

 ショートステイの初日。ウチの施設を利用したAさんは、送迎車でBホームに到着しました。私も同乗していました。
 送迎車のドアを開け、降車をうながした途端に、Aさんは全身で拒絶の意思を表明。悲鳴のような大声を挙げつつ、送迎車のシートベルトにしがみつくのでした。

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今後も続いていくのだろうか……?

 Bホームの職員さんたちは、車内に閉じこもろうとしているAさんを見て、みなさん不穏な表情に。
 Aさんは肥満体で、重心を落とされると、1人や2人では動かせません。無理に動かすわけにもいかず、事態は膠着してしまいました。

 そこで私は、Aさんのお父さんを電話で呼び出し、現場に来てもらうようお願いしました。
 ご家族の手を借りなければAさんを物理的に動かしにくいという判断や、グループホームを利用する機会を失うわけにはいかないという焦り、それに加えて、嫌がるAさんを見てもらうことで事態の深刻さをお父さんに実感してほしいという気持ちもありました。

 お父さんが自動車でBホームに着くと、それを見たAさんは腰を上げ、送迎車から飛び出しました。から出て来ました。そうして、お父さんの車に駆け寄りました。
 Aさんは、お父さんが自分を迎えに来たと思ったのです。

 お父さんはAさんを叱りつけ、羽交い締めにして自動車から引き離します。そんなお父さんに、イヤイヤと首を振りながら抵抗するAさん。
 お父さんが「みなさんも手伝って下さい!」。それを聞いて私は、グループホームの職員さんたちと一緒に、その場に座り込もうとするAさんの腕や脚を抱え、グループホームの玄関へ向かいました。

 必死に嫌がるAさんは、しかし、私たちを叩いたり蹴ったりするような他害行為に及ぶことは、決してありませんでした。
 ご両親に愛されてきたAさんは、優しい心根に育っている人なのです。

 お父さんと私たちは、Aさんを引きずるようにしてBホームの玄関を通過。土足のまま上がり込んで廊下を進み、Aさんに充てられている部屋に入りました。
 私は「後はよろしくお願いします」と言い置き、急いでドアを閉めました。Aさんの大声がドア越しに聞こえましたが、ここから先の支援は、もうBホームの領分です。

 送迎車に戻った私は、息切れ寸前で、全身は汗まみれ。わずかな時間だったのに、疲れ果てていました。
 これが今後も続いていくのだろうか……? 私の胸中に、不安がジワリと拡がるのでした。

⇒「支援者として“親亡き後”に直面(その2)」に続く

Cute Stock photos by Vecteezy

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