前回「支援者として“親亡き後”に直面(その1)」の続きです。
利用者Aさんのショートステイ初日。
BグループホームにAさんを入れ、施設に帰り着いた私は、ヘトヘトに疲れていました。身体的な疲労に加え、嫌がる相手に無理強いをするという、支援者として不本意な行動に及んだことによる精神的な負荷が大きかったようです。
ショートステイは2泊3日でした。その間のAさんの様子は、通園する弟の送迎で訪れた時に、Bホームの職員さんから教えてもらいました。
それによると、Aさんは通所バッグを身に着けたまま、充てがわれた個室に入ることを拒み、玄関のそばに居座り続けていたとのこと。夜になっても横にはならず、未明にウツラウツラと居眠りする程度。食事も取らず、着替えもせず、職員さんが夜食に作ったおにぎりを少々かじったと聞きました。
Bホームでの様子からは、ショートステイを拒む、Aさんの強い意思が感じられました。
ショートステイが終わった3日目の朝、Aさんは送迎車に乗ってウチの施設に来ました。元気がなくて、やつれ気味。睡眠と食事が不足していたからでしょう。
「少しずつ慣れていってほしい」
2週間後、またショートステイをすることになりました。
長年Aさんに接してきた、ウチの施設の職員たちからは「細切れなショートステイより、初めからグループホームで生活する方が、むしろAさんには馴染むのでは?」などと意見が出たのですが。計画相談支援を担う相談支援専門員さんは「Bホームに少しずつ慣れていってほしい」との考えで、5日間のショートステイが計画されました。
2度目のショートステイは、始まる前から波乱含み。Bホームへ送迎車で向かおうとした際、Aさんは施設の奥で座り込み、動かなくなってしまったのです。何事か察知したのかも知れません。
そこで私は、Aさんのお父さんに電話し、施設に来てもらいました。自宅からの迎えと思ったらしいAさんは、お父さんの自動車にスルリと乗り込んだものの。到着したのはBホーム。拒否的な態度に豹変したAさんでしたが、お父さんと私、そしてBホームの職員さんたちに両手両足を抱えられ、ホームの玄関へ。事態を予想して心構えができていたせいか、前回よりはスムーズに運びました。
Aさんは屋外に出ることなく、Bホームに4泊しました。前回同様、個室には入らず、玄関そばの床にうずくまって過ごすことが多かったそうです。
ただ、わずかなりとも食事を取るようになったり、職員の介助を受けながら入浴するなど、態度に変化も見られたそうです。私の弟が送迎車で通園する際には、Bホームの窓から手を振って見送るAさんの姿が見られたとか。
2度目のショートステイを経て、支援者らの会議が開かれました。出席したのは、相談支援専門員さんと私、Bホームのサービス管理責任者さん、そしてAさんのお兄さんです。将来を見越して、病気を抱えているお父さんではなく、いずれキーパーソンになり得るお兄さんが呼ばれました。
お兄さんは「この機会を逃したら、弟は両親から離れて暮らすことができなくなります」と訴えました。「ですが、もう両親には弟を養育していく力がない。Bホームで暮らせるようにと願っています」
ネガティブな情報であっても
私は「お兄さんがいらっしゃる前で、たいへん心苦しいのですが」と前置きし、Aさんの生育歴や現場について、ご両親が語っていないと思われることを述べました。ご両親と離れて外泊する機会がほどんど無かったことや、お母さんが入浴を介助していたことなどです。ネガティブな情報であっても、共有しておく必要があると判断したのです。
その上で、「言い聞かせたことに従ってくれるAさんではありません。徐々に慣れてもらおうとするより、新しい生活に初めからしっかり馴染んでもらうべきだと思います」と提案しました。
会議の結果、AさんのBホームへの入居利用が決まりました。半月ほど暮らしぶりを観察したうえで担当者会議を開き、施設通所のタイミングを検討するという流れになりました。
Aさんのご両親は健在です。しかし、お母さんは認知症になり、お父さんも病気を抱えています。お兄さんが言うように、もうAさんの「養育」は困難でしょう。
Aさんは、そして私たち支援者は、“親亡き後”と変わらない事態に直面していました。
数週間後。AさんがBホームに入居する日がやって来ました。
⇒「支援者として“親亡き後”に直面(その3)」に続く