タウン情報誌などを扱っている出版社の社長さんに、経営上の体験などをうかがう機会がありました。
弁舌さわやか。それに面白くて分かりやすい。
「マスコミ業界のベテランだけはあるなぁ」などと感心する私に、社長さんは「こんなにペラペラしゃべってますけど、実は私、昔はひどい口下手だったんですよ」。
出版社を興す前、社長さんはイラストレーターで、むしろ寡黙にコツコツと仕事をするタイプだったとのこと。
そこで、話術が上達した秘訣を問うてみたところ、「簡単なことです。習ったんですよ」との回答。
巷にある“話し方教室”などを調べ、評判の良さそうな講座に入門したそうです。
罪悪感や恥ずかしさを覚えがち
いささか拍子抜けした私の心を、社長さんは見抜いたのかも知れません。
「『なぁんだ』って思いました? 習って身に付くものは、習えばいいんですよ。恥ずかしがらずにね」
会話や所作などを“習う”ことに、しばしば私たちは罪悪感や恥ずかしさを覚えます。
そこには「会話や所作の出来不出来は、当人の内面の表れである」との固定観念が働いている模様。本来であれば“人格的な充実”を目指すべきところを、姑息な手段で済ませようとしている…そのように思えてしまうのでしょう。
「大切なのは『しっかり話す』『きちんと伝える』ということ。それが習って済ませられるのなら、習うべきですよ」と社長さん。
私も口下手で、いささか劣等感を覚えてもいるのですが。
内面や人格のことを悩んでいる時間があるのなら、さっさと習い憶えた方が良さそうです。
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