先日インターネットで視聴した、あるシンポジウム。
哲学や政治学の専門家たちが、「利他」や「能力主義」などについて議論する内容でした。
シンポジウムの中で「障害者への支援とは、支援者が一方的に助けているのではなく、互いに何かを与え合っている双方向の行為なのではないか」との話題が出ました。
その例として挙げられたのが「視覚障害のある人に、美術館で絵画について説明し、鑑賞を支援する」。
キャンバスに何が描かれているのか、色彩や構図はどうなのか、観ていてどのような気持ちになるのか…自分のボキャブラリーや表現力を駆使し、視覚障害のある人に伝えるという支援です。
それは確かに、とても刺激的な体験になるでしょう。
視覚障害のある人は鑑賞の手助けが得られ、支援者も貴重な体験が得られます。双方向の行為と言えそうです。
このような取り組みが、実際にワークショップなどの形で行なわれていることを、後日知りました。機会があれば、私も参加してみたいです。
意識すれば結果に差が
患者の車椅子を押したり、聴覚障害のある人へ意思を伝えたり…それらは、私たちにとって非日常的な体験です。
だからこそ、道徳的な満足感だけでなく、好奇心や冒険心、知的興味に訴えるような感動がもたらされるのでしょう。
もちろん、初めは刺激的だったとしても、何度も繰り返すうちに感動が薄れることは少なくありません。障害者支援の“業界”では、しばしば目にすることです。
支援に倦み疲れ、嫌になってしまう場合もあります。
とは言え、「与えるばかり」と決めてかかる場合と、「受け取ろう」と意識している場合では、結果に大きな差が出るはず。
遊園地での満足感は、積極的に楽しむ姿勢でいた方が大きくなりますよね。それと似ている気がします。…例として適切かどうかは分かりませんが。
“受け取る”ことについて、支援する側はもっと自覚的、あるいは意欲的になっても良いのかもしれません。
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