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書籍『ルポ 「ふつう」という檻』

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『ルポ 「ふつう」という檻』

 私の弟はダウン症なので、顔貌などに類型的な特徴があります。全体的にぽっちゃりとしていて、ややツリ目がち、両目の間が広く、鼻は丸くて低い……。
 ひと目で障害者と分かるため、周りの人たちは弟のことを“障害のある人”として扱います。多少なりとも、弟に接する際「何らかの配慮をしなけばならない」との意識を持ってくれるようです。

 一方、外見から障害が分かりにくい人がいます。
 私は以前「“障害者に見えない”つらさ」という記事で、軽度の知的障害がある人のことを書きました。障害の存在が分かりにくいことが、当人の生きづらさをもたらしている事例です。

 本書にも、障害の存在が分かりにくい人たちが多く登場します。
 長野県の地方紙・信濃毎日新聞の連載記事をまとめた一冊で、サブタイトルは「発達障害から見える日本の実像」。自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD)などの診断を受けた人たちについてのルポルタージュです。

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同調圧力にさらされる苦しみ

 取材対象は多岐にわたります。発達障害を抱えた当事者をはじめ、その保護者、医師ら医療関係者、教師ら教育関係者、福祉施設や民間企業のスタッフなど。
 ルポの切り口もさまざまです。発達障害への無理解や不寛容の実態、教育制度や福祉制度の不備、国連から改善勧告が出ている日本の特別支援教育の在り方など。

 記事が描き出すのは、日本の学校や社会が規定する「ふつう」がもたらす同調圧力と、それにさらされる発達障害当事者たちの苦しみです。
 学校などでのつらい体験から生じる、不登校や引きこもり。我が子が発達障害と診断された肉親の、悲嘆や葛藤。ずさんな支援体制にままに運営される、放課後デイサービスや就労支援事業所。命を絶ってしまった当事者のエピソードもあります。

 福祉作業所に勤め、障害のある人たちと日常的に接していると、「ふつう」という見えない檻が、確かに存在することに気付きます。と同時に、「ふつう」という価値観のあいまいさや頼りなさも、実はよく分かるのです。
 「ふつう」という檻の解消を目指す、地道な取り組みが始まっているそうです。本書の終章では、発達障害当事者に寄り添う活動や、理解や共感を拡めている人々の事例が紹介されています。

Image by pch.vector on Freepik

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