前回「支援者として“親亡き後”に直面(その2)」の続き。これが最終回です。
利用者AさんのBグループホームへの入居は、これまで2度にわたって実施したショートステイ利用と、ほぼ同じような調子で進みました。
Bホームに入ってもらうところが、最も困難で、多くの人手を要します。ここを再び、Bホームの職員さんや私など数人がかりでクリアして、Aさんの新生活が始まりました。
入居後の方針は「グループホームでの生活に移行したことをAさんに分かってもらうため、Bホームで暮らし続けてもらう」。言葉による説明ではAさんの理解が得られないので、実体験を通して新しい環境に慣れてもらおうという狙いです。
Aさんの暮らしぶりは、Bホーム側の報告によって把握できていました。
自室に入りたがらなかったり、居間のソファで寝たりするのは、ショートステイの時と同様。一方で、食事回数や食事量が増えていたり、入浴を拒まなくなるなど、良い方向への変化も見られるとのことでした。
腹をくくって「やってみよう」
入居して3週間が過ぎたころ、担当者会議が開かれました。主要な議題は、Aさんの生活介護利用を再開する、時期や方策です。
焦点になったのは、ウチの生活介護を利用した後、Aさんがどうなるか。スムーズにBホームに帰ってくれれば良いのですが。これまでのように、玄関先で拒否的な態度が続き、毎回介入しなければならないのであれば、関わる職員たちは疲弊してしまうでしょう。
口話がほとんどできないAさんの意思や気持ちは、明確には分かりません。当人の様子や態度を見て、推理や予想をするしかありません。
話し合った結果、「とにかくやってみよう」ということになりました。腹をくくって実行してみないことには、事態は進展しないのです。
Aさんが生活介護利用を再開した初日。
送迎車に乗り込むのも、ウチの施設に入るのも、スムーズに進みはしたのですが。疲労が蓄積しているらしく、容貌はやつれ気味で、動作は緩慢。あまり眠れていないのか、コックリコックリと居眠りする様子が見られました。
帰る時間になると、Aさんは送迎車に乗るのを嫌がりました。とは言え、以前のように全身で拒否の意思を示すことはなく、粘り強く促しているうちに乗車してくれました。
懸念されたのが、Bホームに入る場面。前もってAさんのお父さんに連絡し、Bホームで待機してもらいました。ここでもAさんは、送迎車から降りることを嫌がったりはしたものの、お父さんの叱咤によって、Bホームの玄関をくぐってくれました。
予想したほどの困難さはありませんでした。私は「これなら大丈夫かも知れない」「このままBホームでの生活が定着してほしい」などと、願うような祈るような気持ちでした。
土壇場で見せてくれた柔軟さ
2日目は、初日よりもスムーズに進みました。ウチの施設からBホームまで、「しようがないなぁ」とでも言いたそうな素振りで、Aさんは動いてくれるのでした。
それから3日目、4日目と、日を追うごとにAさんの態度は軟化。翌週になると、自分から送迎車を降り、Bホームに入っていくまでになったのです。
Aさんの劇的な変化に、驚いたり喜んだり。そして何より、私は心底から安堵しました。Bホームの職員さんや、相談支援専門員さんたちも同じだったようです。
Aさんは現在、Bホームで暮らしながら、平日昼間はウチの施設の生活介護を利用しています。休日はBホームで、パンケーキを焼くなどの日中活動を楽しんでいると聞いています。
実家に“帰省”する機会は、今のところありません。認知症のお母さんに代わり、お父さんが家事を担うようになったため、短期間であってもAさんを受け入れる余裕がない模様。
Aさんが大きな変化を見せたのは何故か。当人に訊ねたいところですが、口頭で説明してもらえるようなことはないので、分からずじまいとなっています。
そうであっても、家庭の“危機”が迫る土壇場で、長年付き合ってきた私たち支援者でさえ驚かされる柔軟さを、Aさんが見せてくれたことは事実。それは、Aさんにとっての“生きる力”みたいなものだったのかも知れません。