障害のある利用者さんが、親御さんから離れて、新しい暮らしを始める……そのような複数のケースに、私は関わってきました。
具体的なことは、過日に掲載した「弟なりの“自立”を目指して」や「支援者として“親亡き後”に直面」などに、一部を書いています。
スムーズに進行した事例もあれば、うまくいかずに苦労した事例もあります。利用者さんが十人十色であるように、事例もさまざまです。
それでも、いくつもの経験の中で、共通する要素のようなものがあることに気付きました。
障害のある我が子を離したがらない、そんな親御さんに限って、「この子にはグループホームでの生活などできない」「親がいない環境で暮らせるはずがない」との意識を強く持っているのです。
「限って」と断言できることではなさそうですが。私が経験した範囲では、そのように見受けられました。
私は「誰にでも成長する機会はある」と考えています。
仕事として障害者福祉に関わる中で、私が得てきた気付きのひとつです。
「生きる力」の発露では
昨日できなかったことが、今日できるようになった。昨年できなかったことが、今年できるようになった。5年前できなかったことが、5年後できるようになった。……このような人たちを、私は見続けてきました。
障害が重くても、老齢であっても、成長を見せない人はいませんでした。
障害のある人たちは、変化への対応が苦手と言われます。
実際、苦手な人が多いのは事実ですが、それは「変化に対応できない」のではない。変化への対応が、緩慢だったり微細だったりして分かりづらいことはあっても、何らかの「好転」はしているのです。
変化に対応することを「成長」と表現するのは、いささか乱暴かも知れませんが。
家族と一緒に暮らし続けられなくなるという局面で、無理を押してグループホームに移り、渋々ながらも新生活を受け入れる……これは「生きる力」の発露みたいなものではないか、生き続けるための「成長」ではないかと思うのです。
福祉専門職の私ですが、支援によって何がどのように好転するのか、断言も約束もできません。それでも、何らかの成長を引き出せると信じていますし、そこに頑張りがいを覚えてもいます。
できることなら、親御さんらご家族にも、成長への可能性を信じてほしい。そして、信じたかいがあったとも思ってほしいのです。